なみかわみさきの日記

2018年ころまでの日記。

創作活動ふりかえりその1(1985-1991ころ)

今日も0時ぎりぎりになりましたが、なんとか3にち目。
創作のことを少し振り返ってみようかと思います。

30年というのは10才からカウントしてて、その時点ではまだプロでもライターでもありませんでした。
ただ10才の頃から明確に何かを作っていたなという記憶があるから。
当時は(ファミコンという衝撃的な出会いはあっても)*1コンピュータを使う仕事を目指していたわけではなく、ふつうの女の子?らしく、エレクトーンの先生と漫画家になりたい、そう思っていました。
作ったマンガのあらすじや、それらや作曲のタイトルを書き出したらノートに数ページあった。それが10才頃のことでした。
とりあえずちょっとでもあらすじを考えたらタイトルを増やしていったので、中学の頃には100タイトル、曲も30から40くらいはあったと思います。
ほとんどメモばかりで、大体のあらすじは口で喋って一人芝居、自作曲はエレクトーンで弾きまくってたまにテープに録音する、そんなかんじでした。

もしこのときにツイッターYouTubeがあったなら、わたしの人生はまた別の方向に行ってたかもしれない。ただ、英語で言うlocalで公開してたからよかったこともあって。守ってくれる人がいなければきっと顔の見えないだれかに、酷評、叩かれ、くじけていたと思う。

マンガより書きやすい小説ばかりを書きかさねて、たまたま図書室の前に掲示していたコンクールに試しに応募したら、入賞してしまう。たしか30枚くらいの短編で、下書きのノートは無くしてしまったし原稿のコピーもとってなかったんで(当時ってコンビニコピーがあるほうがめずらしかったし、カウンター借りてコピー機にさしてたよね)、あの時の文章を読み返すことはできない。

高校受験にかんしては、さきに試験のあった私立に受かった時点で気が抜けてうっかりしてしまい、本命の公立高校に落ちてしまった。

合格発表のかえり、電車は公立高校からどんどん遠ざかる。あー、これが人生の分岐点なんだなとぼんやり感じた。

ここまでの戦歴
  • 読書感想文コンクールでなにか県内賞くらい
  • 作曲コンクールでなにか参加賞よりはいいやつ
  • 総合コンクール小説の部で中学生部門銀賞
  • 美術や家庭科の課題とかでテーマ自由だと、創作のキャラクターの絵やグッズを作り、先生を困らせる
エレクトーン

C-90からFS-30へ。
個人レッスンばかりで、センターでのグループレッスンの経験なし。
発表会程度ででかいステージで弾いたことなし。D-700とかHS-8とかの時代。
グレードは7級までストレートにきて6級は数回受けて通ったと思う。

パソコン

なにそれおいしいの?のレベル。
ファミリーベーシックは触ってたけど、説明書のコードを入れただけ。
中学でタイプライターを触らせてもらったこともあり、ワープロ英語キーボードで覚えた。たぶんこの選択はよかった。メーカー独自仕様のかな配列だったら後で苦労しただろうな。

なにを読んでたか

コロコロ、ボンボン、小学◯年生、りぼん、図書館にあった児童文学(ズッコケ3人組とか灰谷健次郎とか)、世界名作、コバルト、家族が買ってたホビージャパンとか

*1:ゲーム機遍歴はこちら。ゲーム関係の話は今回のアドベントカレンダーではたぶんしないと思われる。たぶん。