創作活動ふりかえりその2(1992年あたり)
あの物語を生み出した
92年周辺のことをふりかえる。
どこかで書いていたかもしれないけど。
高校時代は先述の通り第一希望に不合格だったため、とまどいのままスタート。進学校だったのであっという間に赤点ばかり。
ぼんやりと文芸学科とか国文学のあるところを志望はするものの、もちろん模試の結果は最悪のままである。
あいかわらずノートに小説を書いて、ワープロを打って、個人誌を作ったりしていた。この頃まだいわゆるコミケとかはよくわかってない。
91年に、海のメルヘン大賞がはじまり、応募してみたが選外。リベンジするかとか迷ってる間に92年の第二回の締め切りがせまっていた。
去年がたぶん暗い話だったから選外になったと思って、今度は違う方向に行こうと考えてるうちに明日には応募しないと間に合わないようになる。
また悪い癖でほとんど下書きせずに書き上げ、近所にまだ24時間のコンビニもなかったのでワープロで打ってコピーして、ギリギリに発送。
それがふたつめの人生の分岐点である。
(大賞を受賞してしまい、)なんか大変なことになったなと思いながら、あいかわらず、なんとか模試とかの判定はいける大学ないでな状態。たしか一芸入試やってるR大学があるからそこを受けるかなあ、とか焦ってた。そんなある日、先生からD大学のAO入試を紹介していただく。
この話はもっと成績のええ人にいくはずだったのにほんと申し訳なかった。うしろめたさみたいなのはずっとある。
さらに経済学部だったので(当時は)かたい印象しかなく、入試の小論文もかなり的外れなことを書いた気がする。今やり直せるなら数学もっと勉強しとけ、それだけです。
これまでの戦績
- 第2回海のメルヘン大賞
- とある大学の主催してた童話賞(選外)
- コバルトの短編小説(選外)
- あとなんか送った気がするけど不明(選外)
エレクトーン
5級になかなか受からず、すごいスランプっぽかった。数年後、やっと合格後速攻で指導5級も取ったので、いちおう「エレクトーンの先生になる」という目標は達成された。
パソコン
この時点でもまだわからない。たしか286じゃなかったっけ。というのも後付けの知識で。
5インチのディスクを入れてってのは先輩のパソコンで見せてもらった。