創作活動ふりかえりその3(1994年〜1998年あたり)
冬の時代
(その後も人生のおおきな出来事があっていろいろ落ち込むんだけど)この時点で当時いちばんの危機みたいなのがおとずれる。
大学も入試勉強らしいことをしないまま入ってしまったため、授業にもついていけず、さらにグループワーク的なやつとかもだめ、さらに周囲の同性も異性もなんか人間できあがっていてどんどん取り残された感じがして、留年寸前までにおちいる。
同好会やクラブについても何か興味がわかず放置していたら、完全に孤立してしまった。
これはもうだめだなあと半ばあきらめていたときに、さわりはじめたパソコンのほうで思いがけない転機が来る。
大学のインターネットが、特に申請なしで一般学生にも開放された。当時はまだ、単にメールサーバにtelnetで入ってコマンドを打つ程度ではあるが。これがすごいおもしろくて、情報処理教室に入り浸るようになる。
そして、どの先生のゼミに入るかって段階になって、たまたま、ほんとにたまたま、来年から開講するゼミの告知ビラを受け取る。コンピュータを積極的に使うとか、レポートはFDで提出とか。これだと思って全力で申し込んだ。
そのへんから、少しずつ調子が上がっていった。
メールサーバでwとかしたらいつもいてる人とかと仲良くなれたり、ゼミやら図書館の本やらでどうもHTMLとかがなんかすごいらしいとか、あと下の投稿など、いろいろあって(略)なんとか4年間の大学生活を終えることができた。
#就職活動とかについてはなんか長くなりそうなのでまたの機会に。
恥ずかしながらこれといって何かをコンスタントに書いて投稿とかはしなくなっていった。でも、へたれのままでいた。(あきらめきれてない)
こんなとこでアドバイスも変だけど長距離通学・通勤はあんまよくないと思う(ぉ
大学時代から長距離通学、通勤になって、まあそれなりに「いかにして電車で長時間座る時間を確保するか」とか工夫して、(ときには用箋ばさみで紙をはさんで立って書くとかもざら)やれないことはないんですけど、やっぱり今ふりかえると、もし「長距離でない方も選べる」環境におられるなら、ぜひ通勤や通学時間は短い方を選んだ方がいいと思います。
これまでの戦績
作品単発より、作品集みたいなのが多い気がするなあ
- 第?回*1ソニーデジタルエンタテイメントプログラム(DEP)オーディション 2次面接(選外)
- これまでの活動全般をプレゼンで送った
- 任天堂ジャックと豆の木計画(プロジェクト) 2次面接*2(選外)
- これもこれまでの活動の本とかテープとか入れて送った。その量が多くて審査員を驚かせたらしい
- とあるインターネットサイトでのデジタル絵本向け文章と絵のラフ指定
- バイトとして数作品やってた。
あとニフティのFMIDIORG、FMIDIMSGで数曲アップロードした。
「海のおっちゃんになったぼく」
1995年にクレヨンハウス「月刊音楽広場(現在は月刊クーヨン)」にて綴じ込み絵本というかたちで、黒井健さんの絵によって絵本化される。この文章*3は、いま角川文庫で出ている、椎名誠さんの「絵本たんけん隊」*4でよむことができる。
パソコン
大学に入ってから、ちょっとずつ知人に教えてもらう。最初に触ったのがMS-DOS5+窓3.1あたり。MS-DOSの画面から一太郎(ATOK)、MIFES、FILMTN*5の使い方とかを教えてもらう。
長くなるのですごいはしょると大学中盤〜後半にかけてすごい必死で本読んで操作覚えて教えてもらったり、パソコン通信(ニフティ)でネットとのつきあいかたについて知ったりとか。
バイト代はだいたい教科書代とパソコン通信代、電話代に消えた。
読んでた本とか
ファミコン屋でバイトしていたこともあって、「ファミコン通信」。あといろいろだけどあまり覚えてないなあ。(思い出したら足します)
大学の図書館ではコンピュータ雑誌のバックナンバーにお世話になった。
C MAGAZINEは、黒いプレステが出たあたりから買ったような気がする。まだFDが付録になってた頃。