なみかわみさきの日記

2018年ころまでの日記。

もしもファミコンが無かったら。

任天堂・山内元社長の訃報ニュースを見たのは(2013年)9月19日の、平日昼間の仕事からの帰宅途中、Twitterで、でした。謹んでお悔やみを申し上げます。

日経さんにはかなり古いインタビューのテキストも記載されていたりしました。

すでにとても有名なブログ主さんやゲーム世界の著名人がお悔やみのコメントを寄せているなか、すみっこで思うところを書いておきたいと思います。

ファミコン”とわたし

ほとんどの同世代の方がそうかもしれないけれども、ファミコンは小学校から帰ってきた私やともだちやきょうだい、そして一家のだんらんの中心であり、リビングじゃない「居間」の真ん中にあるたった一台の(ブラウン管)テレビにRFスイッチで接続して、みんなで遊ぶものだった。
大相撲をやっているときなんかはゲームの前後に一瞬その画面が映るとか、猫が走り回って、あるいはコントローラを引っ張りすぎてゲームが止まるとか、灰色の画面とか、マジックで名前を書いたカセットとか、あのころの「遊び」、もはや風俗(もちろんえっちじゃないほう)に近いカルチャーだった。

カルチャーショック。そういう言い方がいいのかもしれない。ファミコンが初めて家に現れた日のことは今でも覚えている。耳慣れないピコピコピコという音、緑や白、黄色の原色べったりの画面。今じゃオールドゲームとか音楽はチップチューンとか言われるけれども、当時はそれで十分だった。塔の最上階にいるあの人を救いに行く物語、ドラゴンにとらわれたお姫様を救い出す物語を想像するだけで十分だった。土管にもぐれることがわかっただけで大興奮できた。−−そして一部のみなさんと同じように、ゲーム好き*1の心をそのまま持って大人になった。

コンテンツの世界にはまりこむ


たぶんまだ「おたく(オタク)」の定義もはっきりしてなかったころ、私はとあるゲーム世界に*2深くはまりこんだ。関連するサウンド・トラックから、設定資料、サイドストーリーといった本、そしてゲーム世界で登場するキャラクターを題材にしたグッズを現金書留で通販するほどになる。また、たまたまそのゲームの音楽はクラシック調だったことから、クラシック音楽にも興味を持つ。やがてゲーム音楽そのものにも傾倒していく。*3−−テレビゲーム・コンテンツの世界にとても魅力を感じ、よりすごいものに出会いたい、と思うようになっていった。

テレビゲームはカルチャーとなり、わたしの生きがいとなった

やがてテレビゲーム発売のために行列を作る社会現象が起き、テレビゲーム専門店もでき、テレビゲームはひとつのカルチャージャンルとなった。
私は大学生時代のアルバイトをテレビゲーム店に決め、4年間続けた。そこでは商売の基本も教えていただけて非常に良い経験をしたと思っている。時代的には*4初代プレイステーション(プレステ)とセガ・サターンが出た頃で、だんだんと在庫の棚の中身がスーパーファミコンの紙箱からCD-ROMをおさめるプラスチックのものに入れ替わっていくというのを体験した。

ジャックと豆の木計画」と就職活動

(大学時代からはテレビゲームのほかにUNIXという強力なものにも出会っていて、それとパーソナルコンピュータいじりがこの後の人生に影響しはじめる。)

いちばんの夢は小説家にほぼ固まっていながら、絵も描きたいし音楽も作りたい、自作のアニメ化なんてのも妄想していたので、ゲームクリエイターという新しい仕事にももちろん興味があった。みんながリクルートからくる電話帳みたいな本からはがきを出しまくる横で、自分は官製はがきを何十枚か買ってゲーム会社にせっせと資料請求を送り、セミナーに行ったり一次試験を受けたりした。結局ゲーム会社にはどこにも決まらなかったが、その頃に(当時の社名ADM(エーディーエム))の「ふくい まさひろ」さんとの出会いは非常に貴重なものとなった。*5

http://www.1101.com/nintendo/nin5/nin5-jack.htm
また少し戻るが、大学2年くらいの頃に、任天堂「ジャックと豆の木計画」というクリエイター発掘プロジェクトがあり、私はその時の創作活動のすべてをぶちこんで投稿し、なんと東京での面接まで受けに行ってしまった。今思えばなんという無茶をしたのか、若さゆえのなんとかか。あの時の審査員(評議委員)のひとり、糸井重里さんからは、とてもだいじな言葉をいただいた。−−結局ゲーム会社にはどこにも決まらず、就職活動は、とある大学の事務職(前職)に落ち着いて完結することになる。

もしも”ファミコン”が無かったら。

if論になるが、もしもファミコンが無かったら、今頃自分は何をしていたのかと考える。
ファミコンに出会う前(まあLSIゲームはあったけど)から「漫画家」になりたくて絵を書いていた。「勇者が悪者を倒す」ストーリーをたくさん作っていた。絵よりも文字を書くほうが早そうだったから「小説家」も目指そうと思っていった。だからおそらく「クラシック音楽の嫌いな」エレクトーンの先生*6をやりながらいつまでも漫画を”りぼん”に投稿してるんじゃないか、と思う。

(スーパー)ファミコンをやりすぎて塾の先生に怒られたりしなかったら、きっつい勉強をのりこえられずあの高校にも大学にも行ってなかったような気がする。−−あの高校でまたゲームをやりすぎて先生に怒られっぱなしでないとあのお話も生まれてなかったし(ぇ。−−

でも、「もしもファミコンが無かったら」ということを考えられるほうで良かった、これはぜったいに良かったといえる。「もしもファミコンがあったら」っていう世界に居ることなんて、想像できない。

おまけ、ファミコンを知る本


(写真は建設中の任天堂新社屋)

現時点で側面からわかるものとしていくつか紹介。もっとありますよ。

「新・電子立国」は全部読んで損しないと思う。特にこの回はファミコン誕生の話。
NHKスペシャル 世界ゲーム革命

NHKスペシャル 世界ゲーム革命

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2012/07/31
  • メディア: Kindle
これは比較的新しい話でいろいろ想像も飛躍しているんですけど、根底にテレビゲームありきで。

社長が訊くシリーズは全部おすすめなんですけど

あと、私が個人的に持っている資料として、平成3年ころの「ファミマガ」についていた付録本(写真)や、やはり?「ファミ通」バックナンバーかな。今でも、雑誌付録などでファミコン特集とかあると思わず手に取ってしまいます。

ハイテクキッズ・エッセイ

「ハイテクキッズ・エッセイ」というテレビゲーム好きの延長で大学時代から駄文みたいなのを書き始めて、それをいまでもずるずるのんびり続けております。第1部は完結してるんだけど時事ネタ満載のためはてなブログでちょこちょこひっそりやってたり。
ハイテクキッズ・エッセイ カテゴリーの記事一覧 - MisakiWorld

これが書けた(続けられた)のもやっぱり、ファミコンのおかげなんですよね。

*1:それまでのゲームって遊興という言葉が似合っていると思う。ルールを踏しゅうして、プレイヤーどうしでかけひきをして。テレビゲームはそのハードルをもっと下げたのではないだろうか?

*2:DQと書いてもいいのかもしれないがこの時点で8,9未プレイかつ「メラガイアー」とか知らなかったのでもうオタクを名乗る資格がないのではと思うこのごろ

*3:これはエレクトーンを長く習っていたからかもしれないけど。電子楽器として

*4:SFCDQ6FF6を売った覚えもある

*5:お名前で検索しても見つからず、ホームページも無くなってしまっているようなのであえて書かせてもらいます。もしお元気でしたら、ぜひご連絡いただきたいです。

*6:スタンダードとかジャズに詳しい人だったらちょっとおもしろそうだな(笑)