なみかわみさきの日記

2018年ころまでの日記。

20110311のこと。

そのものずばり2011/3/11に日付指定して書いてもよかったとは思いますが、結局はてダ内で「震災」で検索してもぱらぱらとしか出ていなかったので、おぼえている限り書き出しておこうと思います。はてなハイクTwitterにも何か書いたような記憶はあるのですが。

あと「雑記」になってて真剣に書いてないとか勘違いされないようにお願いしますです。もともと当ブログって物書きの話がメインだったはずでそのほかは雑記に分類していることが多いためです。

あの日のこと。

その頃はまだ某ネットワーク管理として京都の小さいサイトのボスをやってました。たしかあの日は、「やまとじライナー」という電車が営業終了する

ということで、ラストランを写真に撮りたいので定時退社をもくろんでいたように思います。
15時前、あの地震がきます。直後はさすがに近しい人の安否を携帯電話で確認したものの、サーバ機器に異常がなかったか調査していたと思います。
以前の日記をあさると「建物が船みたいに揺れた」と表現していますが、当時勤務していた建物がかなり頑丈な鉄筋の建物で、ほんとにでかい船にのっているときのおおらかな揺れのようなものを感じました。最初は窓の前のブラインドがカシャンカシャンと鳴って、風? とか思ってたのを思い出します。−−かんたんにいうと、あれが地震だとわかるのにしばらくかかりました。

わかってからは「阪神」のときの怖かったことを覚えているので(「阪神」以来、夜中に地震がちょっとでもあると飛び起きるようになった)、余震がこわくて荷物を持って建物の外に逃げよう逃げようと同僚にせかしたようなおぼえがあります。

作業をしている部屋にはテレビが無く、隣の部屋でかなりの地震が起こったらしいということを知り、ワンセグテレビで同僚が確認していたところ、(当時で)震度9だとか大津波警報だとかいう情報が錯そうしはじめていました。また、他に情報をとれる手段がなかったのでTwitterを見たところ、こちらでも本当かどうかわからない情報が飛び交い始めていました。有名? なのは東京のどこかでサーバーラックが落ちて重傷になった方がいる、といったデマ、でしょうか。そういう情報がぶわわわっと流れてきて恐ろしくなってきました。

結局「やまとじライナー」の撮影はあきらめ、まっすぐ帰宅することにしました。電車が遅れているらしいとのことで京都駅の様子を見ると、新幹線なども遅れていて、乗客がモニター越しに津波のニュースなどを見ていました。
さいわいにも家の中は不安定な置物だけが倒れている程度で、近しい方にもけがはありませんでした。しかし、はてなハイクなどで関東や東北におられる方からの書き込みがしばらくなかったことには非常に不安でした。(私がよく閲覧していた方については、お怪我などされていなかったようでした。)

あの日以降のこと。

それからいくつかわかったこと。

  • 津波は漫画みたいに来るものじゃない。
    • アニメや漫画で見るような壁みたいな波じゃなかった。それは、魔物だったと思う。尋常じゃない水かさを持って襲いかかってきた。油を含んだ水は人の肺を汚し、散った火花を運んで火事を広げた。体力のなくなった人ひとを奪うには十分すぎた。
  • そこへ向かうことだけがすべてじゃない。
    • いくつか、ボランティアに行くための方法、寄付の方法などを書いたサイトがホッテントリに上がった。そのなかで、必ずしもそこにかかわって何かをする必要は無いと知った。たとえばそちらに迷惑をかけずに、被害のなかった地域で、しっかり生きること。それだけでも十分だと知った。
  • 創作者はいったん手を止めた。
    • たまたま、わたしは海を題材にした本を出していたから、よけいに迷った。あのとき、こわい津波を連想させるかもしれない、海の本を、出し続けていてもよいのだろうかと迷った。同じように、歌う人も、描く人も、ほんとうに創作を続けていてよいのか、それはただの夢がたりで現実に必要なものを何も与えていないのではないかと思ったのではないだろうか。

関西在住のため、率直にいうと今でもどちらかといえば阪神淡路大震災(1.17)のほうがいろいろつらいですが、3.11(以降)も自分にいろいろと問題を投げかけていったと思います。多少は生き方や生きることに関しての見方が変わったとはいえます。
いつ何が起こるかわからない、それはかなりリアルにせまるようになりました。(まあ自分が年を取ったからともいえますが。)だから、会いたい人がいたら、早めに会いに行く。アクションが起こせるようだったら早めに起こしたい。だいじな人の願いをできるだけかなえられるようにしたい。−−それでも自分がいちばんやりたいことを、やらなければならない。

ありがとう

甚大な被害がありたくさんの命がついえてしまい、いまもつらい状況のなかで暮らしている方がたくさんいらっしゃいますが、励ましがほんとうに励ましになるのか、それはうわべだけにならないかが心配でうまく言えません。ただ言っていいなら、生きていてくれてありがとう、と言いたいです。この言葉も、うまく届くかわからないけれど。

あれから、カレンダーに毎月11日にリマインダを入れています。「After Earthquake」、と毎月11日にiPodからポップアップメッセージが表示されます。忘れないこと。強く思いつづけること。毎月思い返しています。

  • -

関連記事のようなもの